1968-08-09 第59回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第3号
そうして残った者のうち罹災者が九名、行くえ不明二十二名、合計三十一名というものが、罹災者並びに行くえ不明の合計でございます。
そうして残った者のうち罹災者が九名、行くえ不明二十二名、合計三十一名というものが、罹災者並びに行くえ不明の合計でございます。
ここに住んでいる百二十七万のうち罹災者の数は四十六万。ゼロ地帯のごときはもう数日問水浸しになって、泥海になっておる。実に深刻きわまる大災害が第二霊戸台風によって起こったのであります。大阪としまして一番大事な問題はいろいろありまするけれども、私らの過去の経験、いろいろな事情を見まして大阪をみずから守るということが、これは一番私は大事なことに考えております。
浜中村は、東に大きく開いた霧多布湾をかかえ、霧多布は西側の太い短い腕に当たっており、人口三千百三十九人、戸数六百五十戸、うち罹災者二千七百五十二人、罹災戸数四百六十二戸でありまして、その約半数は漁業従事者であります。
浜中村は東に大きく開いた霧多布港をかかえて、これが西側の太い短い腕に当たっており、人口三千百三十九人、戸数六百五十戸のうち、罹災者は二千七百五十二人、戸数四百六十二戸に達し、しかも、漁業従事者が千二百七十二人、戸数二百十七戸を占めております。
松阪市も又人口五万四千のうち罹災者一万二千百二十五、戸数一万千七百二十八のうち三千三百九十九の罹災家屋を出しておるのであります。二千百五十五町歩の田のうち千三百八十二町歩に浸水したと報告されておるのであります。今後の復旧に要する費用、その他何らの手段がないように見受けられた次第であります。